自作1号車
(大改造1号車)
NEW!
2010(平22)年 計画開始
ベース車デザートゲイター購入
2011(平23)年 製作開始 完成 初走行

世紀をまたいで2000年代。
流行をもたらした1980年代のオフロードカーは、旧車、クラシック、ヴィンテージとしてもてはやされ、それらを走行させて楽しむイベントも盛況。その中で目にする自作や大規模な改造オフローダーたちは、10代20代では、全く届かなかった私に、これでもかと見せつけてクレました。でも、なにも構想さえできずに、30代があっさりと過ぎました。
思い返せば、高校のころ。1980年代がら、自作(改造)マシンって、思い描いていたんですよ。
けど、絵にも描かずに脳内で、ただひたすらに思い込むだけでした。したためても、時が流れて過去の物と化すを繰り返しました。
それでも私は、いつか作りたい思いをしたため、あきらめだけはしないと決めました。


40歳ちょうどの2010(平22)年.
秋に手に入れたデザートゲイターで、20年以上分の溜め込んだ意を決しました。
完成を見るか、そして走るのか、それとも何らかの失敗や事故により、無と化すのか。この最初の段階で、ふつうにデザートゲイターを作りたい気さえ起きました。
しかし、あの時は、自然の流れで、特に決意を固めるのでもなく、方眼紙にパーツを書き始めていました。
メインシャーシに始まり、フロントスキッド。上下デッキ。リアトレーリングアーム。他。自分の中にある想像と構想が、1台のオフロードバギーを構築していきました。
その間の3月11日には、総合スーパーの最上階。5階にあるPC教室で、横方向に5m以上揺すられ、空(から)のなべが落ちる金属音や、何かが倒れる音が、壁越しに聞こえました。
すぐに非常階段へ向かいたかったのですが、講師の指示は、その場にしゃがむことでした。
この大揺れの中で、歩くなど、移動はけがなどの危険を伴います。しかし、建物の倒壊で、あの世行きにはなりたくなかったです。
幸い、倒壊もなく、揺すられはおさまりましたが、今でも指示を無視して、5階からの脱出を選びたかったと回顧しています。
秋に構想と設計。12月には、材料の調達、切り出しをスタートさせていました。
10×10アルミ角パイプの切り出し、穴あけ。FRP板の加工。既存パーツの組み合わせ。穴のズレの修正にはてこずりましたが、2011(平23)年の4月には、完成させていました。

20年以上アキラメをつけられず、青写真を描き続けた自作・大改造の1台目を完成せぬまま、死に絶えたくなどなかった。
その後のセシウムの流れや計画停電に恐怖を感じながら、デザートゲイターとマツダロードスターを合わせたボディも作り、4月上旬にはテスト走行にこぎつけました。
いよいよお披露目となった4月下旬の走行イベントでは、スタビライザーをあえて取り付けないフロントモノショックによって、コーナーでは外に流れず、狙い通りでした。ジャンプの姿勢も申し分なく、安定してました。
初めての改造(自作)で、でき過ぎと思えるほどの成功でした。

この車。2013(平25)年までのイベント前のテストと、当日までしか走らせず、2014(平26)年以降は、ずっと箱の中で保管状態です。
それでも、いつでも走行できる状態です。
